こんにちは。みんなのじもと大阪の都島区在住ライターです。
今日は大阪の下町、都島区に伝わる伝説をご紹介します。私の住む都島区にはひっそりとした歴史スポットがあります。それは角川映画「鵺の鳴く夜は恐ろしい」や陰陽師で知られる「鵺(ぬえ)」なんです。
鵺(ぬえ)とは日本に昔から伝わる妖怪で、「鵺」の漢字のほか「鵼」「夜鳥」もぬえと読みます。鵺は平安時代後期に出現したと言われていますが詳細は不明で、後白河天皇の時代、二条天皇の時代などと諸説あります。古事記や万葉集にも名前が登場する非常に有名な妖怪です。
大阪市都島区の「鵺塚」の起源
下町の風情が残る都島区の一角。ごく日常的な場所に意外な鵺の「塚」が実はあるんです。「鵺塚」の起源は1153年にまで遡ります。
京の都に夜ごと東の空から黒雲が湧き上がり、京の御所を覆い尽くすといった現象が度々起こります。この現象の最中には、妖怪から発する不気味な鳴き声が響き渡ったと言われます。
映画ぬえの鳴く夜は恐ろしい、アイドル鵺、浮世絵も話題
当時の「近衛天皇」はこの鳴き声にとても怯えており、この妖怪と思われる生き物を「源頼政」という武将に退治を命じました。「源頼政」は鵺退治を命じられる程の弓矢の名手で、妖怪をみつけた源頼政はこの妖怪をめがけて矢を射ました。
するといとも簡単に命中し妖怪が空から落ちてきたのです。源頼政がその姿を見ると「頭はサル」「胴はタヌキ」「手足はトラ」「尾はヘビ」という異形のものでした。これが「鵺」という生き物の本体だったのです。
鵺の死骸を葬るため京の都から丸木舟に乗せられ、大阪の淀川へと鵺は流されました。途中、運悪く中洲に引っかかって止まり、鵺の死骸は引っ掛かったまま朽ちてしまいました。
源頼政討伐後、都島駅の毛馬に鵺の死骸を埋めた
現在の毛馬(大阪市営地下鉄谷町線都島駅付近)という場所に源頼政によって葬られた鵺の死骸を埋めたのが塚となり、現在では「鵺塚」として祀られています。大阪市のホームページにも掲載されるくらい由緒正しい塚で、確かに鵺は過去存在した妖怪なのです。
この「鵺塚」は明治3年に改修され、現在の場所(都島区)に置かれたそうです。昭和32年には、地元住民が祠を建て現在の姿となっています。
アニメ21エモンや陰陽師安倍晴明にも出てきた「鵺」
「鵺」と聞きましたら、私の世代が思い出すのが「藤子・F・不二雄さん」の「21エモン」という漫画です。その中で900年前「源頼政」によって殺された「鵺」のことが描かれています。
「鵺」は実は宇宙人で、たまたま地球にいたところを殺されてしまった。その後、その「鵺」の息子が900年間父の仇である「源頼政」を探し続け、出会った主人公「21エモン」を「源頼政」と勘違いして追いかけるという話です。「鵺」の息子が900年も仇討相手を探し続けたということから解るように、彼ら宇宙人は1000年も2000年も生き続けるので「源頼政」がとっくに死んでいるとに気づかなかったのでした。
この話の哲学は、未知の異星で目立つように不気味な行動をとれば生命の危険にさらされるのは当然なので、見つからないように行動しとけよ。ということです。宇宙船に乗って異星探索に来るぐらいの文明があるのなら、弓矢程度の武器にあっさり殺されるなよ…と「藤子・F・不二雄さん」は言いたかったのでしょうか?
妖怪鵺が祀られる都島区鵺塚へのアクセスは?
鵺塚へのアクセスですが、地下鉄谷町線「都島」下車、東南方向へ徒歩約200mの所にあります。詳細住所はページ下の概要にあるGoogle検索をクリックしてくださいね。地図が開きます。日本は妖怪好きが多く、ゲゲゲの鬼太郎を筆頭に根強いファンが多いのが特徴です。鵺に浪漫を感じるあなた、大阪観光の一環としてぜひ都島区の鵺塚に遊びに行って見てください。
以上、都島在住のみんなのじもと大阪ライターが、かなりマニアックな鵺塚の情報をお届けしました!
スポット名 | 鵺塚(ぬえづか) |
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ジャンル | 史跡・旧跡 |
予約 | 不可 |
住所 | 大阪府大阪市都島区都島本通3丁目18−4 |
交通手段 | 地下鉄谷町線「都島」下車、東南方向へ徒歩約200m |
営業時間 | 24時間入れます |
定休日 | 年中無休 |
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