叡福寺

叡福寺は日本初の憲法である十七条の憲法を制定した聖徳太子が眠る寺

こんにちは。神社仏閣が大好きなみんなのじもとライターです。

今日は少し昔のお札に描かれていた超有名人のお墓があるお寺のご紹介。お爺ちゃんお婆ちゃんにお札に描かれている人物って何と聞くと、多くの人がこの人を言います。そうです。聖徳太子です。

大昔の偉人である聖徳太子のお墓のあるのが「叡福寺(えいふくじ)」を今日はご紹介していきます。叡福寺は織田信長の焼き討ちにより、戦国時代末期に一度全焼しています。その後無事再建され、現在の寺の形に落ち着きました。

聖徳太子って何をしたの?

皆さん一度は勉強したことがある聖徳太子。忘れちゃったって人も多いと思うので、聖徳太子の偉業をご紹介します。聖徳太子は第31代用明天皇の第二皇子として574年に誕生し、48歳で亡くなりました。

初めての女性天皇になる推古天皇は伯母にあたり、聖徳太子は推古天皇の「摂政」として政治を行います。そんな聖徳太子の功績としては以下の3つが特に有名です。

▶中国(隋)に「遣隋使」を派遣します。

▶役人を階級で分ける「冠位十二階」を制定します。

▶日本で最初の憲法とされる「十七条の憲法」の制定します。

なお、よく誤解されるのが十七条の憲法です。憲法と言っても今の憲法とは異なり、国民に対する法律ではなく、家臣や役人における道徳的な規範が示されている物で、今の憲法の概念とは全く違うんですよ。

叡福寺の創建

叡福寺の創建についてですが、聖徳太子が眠る墓を守るために推古天皇が建立し、奈良時代に聖武天皇によって大伽藍が整備されたと伝えられています。

聖徳太子御廟

御廟の背後には、叡福寺北古墳があります。横穴古墳で直径が約55mあり、高さは7mもある巨大な円の形をしています。

聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)、太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が埋葬されており、「三骨一廟」と呼ばれています。

聖徳太子は生前47歳の時に、この地を墓所と定めたとされます。621年に母が亡くなるとここに葬られ、翌622年に妃が追葬されたと伝えられています。たった2ヶ月の間に、太子、母、妃が亡くなるという偶然が重なったので、政権の転覆を狙う陰謀でもあったのでは無いかとさえ感じます。

御廟の正面、扉の上には本尊の阿弥陀三尊(勢至菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩)をあらわした木彫りの額があります。

南大門

南大門の額は元総理大臣の岸信介の筆になっています。南大門は天正2年(1574年)の兵火で焼失したと言われていますが、慶長年間に再建され、さらに昭和33年(1958年)に再建築されたと伝わっています。

多宝塔

多宝塔は1652年に再建されたもので、重要文化財に指定されています。釈迦尊像や大日如来像等が安置され、柱には四天王像が描かれていますが非公開になっています。現存の「多宝塔」は承応元年(1652年)に建てられたと言われています。

聖霊殿

1603年に豊臣秀頼により再建されます。聖徳太子16歳像が祀られており、重要文化財に指定されています。外観はとても新しいので、今までに幾度となく修繕された形跡が伺えます。

アクセス(行き方)、営業時間、定休日は?

聖徳太子が眠る叡福寺へのアクセスですが、近鉄長野線「喜志駅」からバスでおよそ10分の距離にあります。金剛バスで「上ノ太子」行に乗車し「太子前駅」で降りてください。下車後すぐの場所に叡福寺はあります。

社務所の営業時間は9時~17時で、定休日はありません。営業時間内に社務所に行けば御朱印を頂く事ができますよ。歴史の大人物である聖徳太子が眠る寺、叡福寺。「和」の精神である「十七条憲法」を再度学びにぜひ訪問してみてください!

スポット名叡福寺(えいふくじ)
ジャンル寺院
予約お問い合わせください
住所大阪府南河内郡太子町太子2146
交通手段近鉄長野線「喜志駅」からバスでおよそ10分。
(金剛バスで「上ノ太子」行に乗車 「太子前駅」下車徒歩すぐ)
営業時間9:00~17:00
定休日年中無休
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